昨日の夜布団に入って虫の声も秋っぽくなってきたなぁと耳をすましながら色々考えたことを、ここに書いておきたくなりました。
少し前までは、コオロギ(リリリ・・・って感じ)とキリギリス(スイッチョン・・・って感じ)のような声がしていたのですが、昨日はキリギリスの声がしなくなっていて、別の違う虫の声がきこえはじめました。
昨日、一昨日あたりから涼しくなってきているし、もう秋が来ているんですねー。
(キリギリスは夏の虫だったのか。。)
そして、そんな風に「これはコオロギで、これはなんだろう?」とたくさんの虫の声の中から1つ1つを選んで聴いていると、なんだか音楽を聴きながら1つ1つの楽器の音を気にするのと同じ感じがして楽しくなりました。
これは、自然の音楽だなぁって。
そういえば、普段楽しげでノリのよい曲を作っているテイトウワさんのCDの中にも、
ひたすら自然の音が流れるものがあるし、高木正勝さんの曲も自然の音を模したり取り入れたものがあったりして好きで聴いていましたが、きっとこのお二人も昨日の私のように感動した事があったのかもしれないなぁと思いました。
もしそうだとしたら、自らが感動して表現するのと、それに共感して感動するのとでは全く感動の度合いが違っている気がしたのです。
自らが感動できる出来事に出会えるのもものすごく幸運で、それに気づけたことも幸せなことで、しかもそれはさらに独り占めできる楽しさがあったり、人に教える楽しさも持ち合わせているような。。
うーん、、うまく言えてないかもしれないので例えて見ると、イルカショーをみにいってイルカのジャンプをみるのと、たまたまフェリーか何かにのっていてイルカのジャンプがみれたのとでは、同じイルカのジャンプでも全然違いますよね。そんな感じを言いたかったのですが伝わったかなぁ。。
*
そんな風に、昨日の夜は布団の中で幸せを感じたわけなのですが、
さらにそんな感動を表現することってステキだなぁと改めて感じたのです。
そしてそこまで自覚していなかったとしても、今まで表現しつづけてきていることもなんだか幸せです。
経験してきた感動を全部表現しきれる技術はまだ無いと思うけれど、
全然やってこなかったよりも目標に近いと言えるもの。
文章でも写真でもイラストでも何でも、表現することは絶対やめないぞと思いました。
*
ときどきこうやって“自分の中での大きなこと”に気づくのですが、その時の精神状態はいつも似通っている気がします。
眠くなるくらいリラックスしているけれど、全部の感覚が鈍くなるわけじゃなく、アンテナみたいなものがその分研ぎすまされ、集中力が高まっている感じです。
そして高木正勝さんの曲を聴いているときにそういった状態になれる事が多かったりするから不思議なんですよねー。
これが高木さんの作品にハマっている理由の一つでもあります。