この辺は湧き水が美味しくて、ごくごく飲んだり料理に使うためにタンクに汲んでくるのが習慣になっています。
この水を飲んだ時に私は、ただ美味しいってだけじゃなくて水道水に無い甘いというか旨いような味がして美味しい・・と思います。料理して味見する時に味の素因数分解みたいなこと、やりませんか?塩分とあれとこれ(言葉にしにくい・・)とのバランスをみるあの感覚・・湧き水の美味しい部分はあれの、基本ではないその他の部分。深い部分の味で、喜びみたいな「うわぁ〜♪」な感覚をももたらせてくれたりします。(予想以上に言葉にするのが難しい・・!)
この間の、息子が通う園の畑当番の日。とても暑い日で湿気もありました。
牧草地の中にある畑へ向かって歩きながら、「空気が美味しいなぁ。甘いような旨いような・・これが美味しい空気ってやつだなぁ。」と思って、たくさんたくさん深呼吸して幸せになりました。湿気があると草や土の香りが強くなるのでしょうか(田んぼの横でも同じ香りがしました)。
そして、あっ!この美味しさのあの部分、湧き水のと同じかもっ?!と思えました。
自然の中の空気は美味しいっていうのはこれまでも思ってはいましたが、今思うと「みんなそう言ってるし排気ガスとかもないしきっと美味しいんだ〜」くらいの感覚だったのかもしれません。自分で初めて頭ではない部分でその美味しさを実感できたみたいです。この場合は舌と鼻かー。
それから、この夏は車の冷房が苦手になって窓をあけて外の空気を入れながら運転する日々なのですが、住んでる場所がどちらかというと山側で家の方から降りて平地の真ん中へ近づいてくると必ず、外の空気も涼しくなくなって仕方なく冷房を入れることになり、それでまた山側に近づいたら窓を開けて・・という事になります。
窓を開けていると、田んぼや畑や山の中の道では土や草や花や実の香りがして癒されます。牧場の近くでは牛や豚の香り。車が多い道ではやっぱり排気ガスとアスファルトと乾いたホコリっぽい香り。
そんな風に、空気の温度や香りで、あっちからこっちへ空間を移動してるんだなぁと感じられるのが最近なんだか嬉しく思えてきました。この場合は肌と鼻かー。
そうすると五感ではあと目と耳が残っていますが、目はやっぱり色。新緑の黄緑とかを見ると「うわぁ〜♪」です。
耳も、鼻と同じように、虫や鳥の鳴き声などを聴いて、そこにいるなぁと感じながら、自分も移動してるなぁとか思ったりします。
もう何年も前に落ち着いたことなのですが心身を病んだことがあって、一時期喜びを感じることができなくなりました。あのせつなさを思い出すと、今の毎日がとても幸せに思えます。人って五感を使うことが大切なんだなぁと思います。
五感を使ってさきほど書いたように色んなものを立体的?にとらえる事で、自分が今ここにいることを実感できているんじゃないかとふと思えました。
「自分がどの部分を快いと思うか」という自分だけの感覚の位置を確認することができるからかな?
やっぱり上手く表現できませんが・・・。最近すぐ行きたくなる山の上にもこの快さがある気がします。
そういう意味ではテレビやパソコンは平面的なので、やっぱり違うんだと思います。
そして逆の話も・・・
添加物たくさんのものを食べた時、「うわぁ〜♪」な部分は全く無く満足感が乏しい・・。基本の部分の味はしっかりあるけど、しっかりはっきりしすぎて違和感があります。それでなんかずっと口の中に残り続けます・・口の中にずっと居座られます。。
この間、とてもとても久しぶりに電気屋さんへ行きました。
すると、とてもとても居心地が悪く・・・気分が悪くなってしまいました。なんでなんだろう??
あと、コンビニが好きじゃなくなってきました。どこでもほぼ同じでその場所にいる感覚になりにくいからです。そしてこのへんはコンビニ跡に建物をほぼそのままで改装して別の飲食店になったりする事が多く、すぐコンビニ跡だなぁって分かってしまってその土地らしさが薄くなるから、嫌だなぁと。
頭では添加物の事も考えると・・っていうのもあるけど、自然の中で感じるあの快さを感じる場所とは反対の存在なので、五感的にも嫌だなぁと感じてしまいます。そうか、電気屋さんの時の嫌な感覚もそれなのかもしれません。テレビやパソコンの中には、あの快さを感じられません。
あの快さ、の感覚、これはなんなんだろう?
快さを知ったから、それとは違うものを快くないと感じるようになりました。
不思議。でもとても大切な感覚。日々の小さな幸せです。