可愛いってなんなのだろう
イルフ童画館の「チェブラーシカ絵本原画展」へ。
この展覧会で、見慣れてるチェブラーシカの姿は原作をもとに色々に表現されたものの中の一つにすぎないという事が分かってなぜか安心した自分に気づく。出会った頃はその愛らしさに惹かれてたはずなのに、今は年のせいか??少し距離ができていて、どちらかというと物語の方が気になっていた。自分も変わったなあと思えて変な感覚になった。でも可愛い姿と距離を置くことで、ほかの作家さんと並列な感じで前よりも作品を深く楽しめたような気がする。
その体験を踏まえて惹かれるところ・距離を置きたいところについて人と話していると、自分の絵に対するモヤモヤに向き合う材料を得られたような気もした。私は、ビジュアル的に強く打ち出さないでキャラクターの魅力を感じさせるやり方をしたいのかもしれない。
個人的にそういうものに芸術性を感じ、目指したいのかも・・
チェブラーシカの可愛さは、私が興味を持つのにとっかかりを良くしてくれたけれど、時間と共に飽きてしまった。そしてしばらくある意味私が作品に深く触れる機会の邪魔をしていたと言える。「可愛い」ってなんなのだろう?可愛いの中に好みか好みじゃないかがあるだけだと言ってしまうとつまらないけど、そこをあえてなんでかなぁと考える事が楽しさにつながる気がする。
絵本の原画に添えられてた文章(物語)がいいなと思ったけど、家に帰ってからみたアニメーションの同じシーンのセリフも新旧それぞれ少しずつ違ってて、でもそれも翻訳の仕方の違いかもしれなかったりで、色んな視点がある事を実感できた。
自分が一生懸命作ったものも、結局色んな価値感を持った目で見られるのだから、自分がこれだ!と思ったり楽しんで作れたなら良くて、さらにそれが誰かに伝わったならとても幸せなことなんだな。
強いビジュアル的魅力を持ったものを少し怖がっている部分があるんだけど、それはもったいないのかもしれない。全部を楽しむのは難しいだろうけれど、出来るだけ良い物に触れられればなぁと思った。