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背守り 子どもの魔よけ 展

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「背守り」って知ってますか?私は初めて知りました。
昭和の初め頃までは子どもの無事成長を願い、着物の背中の部分に魔除けの刺繍を施していたそうです。
普段から私は背中(首の後ろ)に刺繍が施された洋服に惹かれがちで、それが子どものお守りになっていたという事実でさらに引力を増強され、子どもと一緒に行ってきました。
『着物を彩る祈りのかたち、子を慈しむ母の手仕事』というコピーも素敵です。

実物をみていると、込められた想いがあたたかくふわふわっと伝わってくるようで心地よい時間を過ごすことができました。身につけるものに想いを込めるっていいなぁ。ブックレットを購入しましたが、やはり実物がいいですね。自分でも刺繍したくなって、色んな紋を紙に描き写して練習してみたりもして、ワクワク・・。

ただの好みなのか、母だからなのか、ワクワクします。もしかして前世で身近だったのかも・・と思えるくらい。これまでは和の物に惹かれる事が少なかったので嬉しくなりました。

大阪の展示が終了した後は、東京にも行くようですよ。

【背守り 子どもの魔よけ 展】
場所:グランフロント大阪タワーA 12階 (大阪市北区)
日時:2014年3月7日(金)~5月20日(火)/10:00~17:00/入場無料
休館日:水曜日
“子どもの魔よけとして着物の背中に縫取られた「背守(せまも)り」、端切れをもらい集めて綴った「百徳(ひゃくとく)着物」。本展では、昭和の初めころまで子どもの無事成長を願い作られていた祈りの造形の様々を通して、かつての衣文化の豊かさを伝えます。”
http://www1.lixil.co.jp/gallery/exhibition/detail/d_002767.html

いつもお世話になっています

最近誰かと話していると、自分はすぐとんちんかんな方へ思考が流れていき、話の筋からずれた事を言ってしまったりしてるなーという事に気づく。周囲にはとっくに知られたことなのかもしれないけれど、最近気づいてしまった。大人になると、変な所を丁寧に指摘してくれる人なんていなくなるのだ。みんな大人だから、これまでそっと流してくれていたに違いない。

話しながら自分でも内心、あれっ?とも思うけどすぐに修正するまではできないでいる。でもそれを怖がって話さなくなるよりはマシで少しは何かにつながってはいる・・(と、自分では思う)。
周囲の人はそれでもよく自分と話してくれているものだな・・と感謝の気持ちすら沸く。きっと気を悪くして離れてしまう人もいる(いた)のだろう、、これをもし直せるのなら是非直したいものだ。でも会話を重ねることによってしか治せない気がする。(SNSではきっと治せない。独り言が多くなっているし、文字で対話してても文章を考えて書けるから。この記事を書くにあたっても「とんちんかん」の使い方が合ってるか意味を調べてたりとかするし)めげずに臨んでいくしかない・・?!

こんな自分と接してくださっているみなさま、いつもお世話になっています。ありがとう。

感じ方が変わった

久しぶりにちひろ美術館でゆっくりできた。
何度か見ていたはずの作品や、知っていたはずのちひろさんの戦争への想いが、今までと違ったカタチですっと胸に入ってきた。

今まではきっと「戦争は嫌だよね、人がたくさん死ぬから。けれど私は実際に体験してないからちひろさんのように熱い想いは持てないな。」みたいな感覚でみていた。「私は何になら熱くなれるんだろう?ないな・・」とも思っていた。
けれど今日は「きっと政治的に対立しているだけで、戦いたくて戦ってる人は実はとても少なかったりするのかもしれない、子どもたちは感受性が強い無垢な存在だから本当はもっとのびのびと過ごせる環境で育てられなければならないんだ」と、自分なりにちひろさんに共感した感じになった。

最近、身近な集まりでささいな、ちょっとした対立があって、私はその中で右往左往したという出来事があった。自分の考えを確認したつもりでも色んな言葉の勢いに流されてよく分からなくなる事が何度もあった。でも、もっとお互いによく知り合えてさえいれば、平和に状況が移り変わっていくだけだったのかもしれないとは感じていた。
何かのすれ違いがあって悪気無く心が傷つけられ、その事によってまた悪気無く相手側の心を傷つけ返してしまうことがある、というのを知った。
なんだか無意味にも思える対立で、やりきれなさも感じた。
またそんな自分もじつは。中立のような書き方をしてしまっていると思うけれど、自分だってあっちへフラフラこっちへフラフラ。事態を大きくすることに手を貸してしまったと思う。それも含めた上でのやりきれなさなのだった。

比べるような話じゃない!とも思うんだけれど・・
傷つくのが心か身体かというのと規模の大きさが違うだけで、傷つけ合う事のむなしさと、平和を願いながらも翻弄される弱さみたいなものが、戦争の中にもあるのかもしれない?
(私は身体を傷つけられた事がないからそう感じてしまうだけなのかもしれない。そうだとしたらとても申し訳ない。ささいな対立を戦争なんかと重ねて考えてしまうなんて、どうかしてるのかもしれない。)

心の傷は目に見えなくて、知らず知らずのうちに、、というのもあって気をつけようとしても難しいかもしれない。けれどそういう点では、身体を傷つけることを止めるほうが簡単なんじゃないか?と書きながら思った。
心の場合はまた、前向きな何かにつながれば、傷に見えてただけという風になる事もあると思うけど、そういうのは身体の傷にはなさそうだ。

かもしれない、ばかり書いてしまった。でも私は、傷つけるのも傷つけられるのも、誰かが傷つけられてるのを見るのも嫌なのだ。
子どもと一緒にいると、その純粋さ?なんだろう?とても心惹かれるし、学ばされるし、幸せだと思わせてもらえる。子どもが幸せな世界は大人も幸せといえるかもしれない。その環境を作るのは大人。分からないけど、改めて考えさせられた一日になりました。

<追記>
そういえば、この前日にちょうど「戦争に加担してる企業の商品を買うのをやめましょう」って時々聞くけど、どういうことかな?って調べて色々知って考えたのでこういう事を書いたんだと思う。
あと、自分の状態でこんなにも感じ方が変わるんだなぁということが興味深かった。色々な角度から情報を得ると、スパッと言い切るとか、どっちかが完全な正義だとか言うことが難しくなるんだなぁとしみじみ思ったりもした。そしてそこをタイミングを見計らってあえてスパッと言い切るとかいうのも、上手いこと状況を変える戦略になったりするんだなぁとか。

これを読んだ人は、いったい何書いてんだ?って風に思ったりするだろう。
私がまとめ下手なのもあるけど、世の中ってきっとこんな風に分かりやすくないものなんだ!分かりやすく白黒ついてるように見えるものは、演出だったり、視野が狭かったりするのかもしれない。自分が分かりにくくてもあまり心配しないで、前を向いたまま行っちゃおうと思いました。(だからこの記事もこれでいい、という事にする)

考えずに感じろ?

この間久しぶりに玄米おかゆパンを買って食べたら「う・・うっっまーーーい!」ってなった。
最近は何かが美味しくても「あぁ、(わりと)うまいね」くらいにとどまる感じで特に不満もなかったけど、このパンを食べると身体の中心(胃袋?)からぐわぁあっというか、うおぉおっと喜びのようなものが湧いてきた。

そういえば昨年度はこの感覚を初めて知り、何度も出会ってた。きっとその時にいた周囲の方々に食べさせてもらっていたんだ。

私はこういう“素材の美味しさ”に、うおぉおっとなるようだ。この うおぉおっ は、なんだか恋してときめくような感覚に似ていて、数日経つけど時々ふと思い出す。そしてその後、最近食べ慣れてたはずの似たような食べ物でも、少しうぉおっとなった。センサーみたいなものが再び復活したような・・。

この感覚は大切にしたい。以前だと「やっぱり砂糖・乳製品・動物性不使用がいいんだ」とか思っただろうけど、今はなんかそういう風に頭の中でかみしめるより自分にとってうっまーい!と感じた事実だけでいいやって感じ。
でもそういえば、冷えた身体に温かい飲み物を飲んだ時も、うっまーーい!だなぁ。冷えた身体に温泉も似たような喜びがあるな。

五感で得た喜びは身体に刻まれて残るということなのかもしれない。
ひょっとしてその経験があると、人にも与える事ができたりするのかな。どうだろう。

子どもらしさって

息子を見てると、自分の中の“子ども”に対するイメージと違うなと思う事が多いけど、これは小さい頃の自分と比べて違うと思ってるだけなのかな。

漬物・梅干しが好きだとか、おにぎりは味付けナシでいいと言いおかわりを自分で握って食べるとか、テレビのニュース中にドライヤー使ったら聞こえない!って怒ったり、災害ドキュメント中に仕上げ歯磨きしようと寝転ばせたら見えない!って泣くくらい興味持ってるとか、お手伝いするとか、
種ありのポンカンやブリ焼きの骨を文句言わずに食べてるとか、いつのまにかミカンの皮を剥いて父ちゃん母ちゃんへ配る係になってたりとか。

そういうの、小さい頃の自分には無かった。
カレーとかドリアとかばっかりリクエストして食べてた。テレビはアニメばっかり。父がニュースにチャンネルを変えたら文句を言って席を外した。種有り骨有りのものは面倒で食べたくなかった。お手伝いせずに、仕事から帰宅したての母に、おなかすいた早くごはん食べたいとか言ってた。世の中のことに興味はなかった。
だから、息子を見てると「変な子だなー」と思う。(笑)付き&興味深い感じで。

でも、そんな息子も外では元気で素直で子どもらしくていいねーって言ってもらえたりしてる。子どもらしさってなんだろうな?
子どもらしいものをあまり与えなくても、子どもはちゃんと子どもらしいのだな。
逆に私の方が、小さい頃の世界(生活習慣?)から抜け出すのに時間がかかっていて、今でも子どもっぽくて自信が持てない部分がある気がする。そのおかげで学ぶこともあるけど、なんだか息子がうらやましいのでありました。