memo

日々のものづくり&気になることいろいろメモ

のびのび。解放。

諏訪湖畔にあるハーモ美術館の『アンリ・ルソー、グランマ・モーゼスと素朴派の画家達』に行ってきました。素朴派の絵を観るのはおそらく初めて。でも今の日常で良く目にしている自然の風景が描かれていて、現代のイラストレーションにもありそうな雰囲気でとても身近に感じ、初めて観た気がしなくて楽しくなりました。

なかでも、グランマ・モーゼスさんは75歳で本格的に絵筆を取り、評価され、たしか90歳ごろに技術的な全盛期を迎えた(うろおぼえ)とのことで、その頃の絵をみると雪の風景の白に赤い服を着た人が小さく入っていたり、今の私にとってイカした絵を描かれててぐっと惹かれました。

私も今もたもたしてるけど、諦めずにがんばろ!のんびりのろのろでもいいじゃないか〜!と励まされました。
ほんとに今、描きたいけど描けない。子育て中で時間がないというのもあるけれど、きっとあってもきちんと向き合うことが出来なくて現実逃避してしまう。少し前までは人の目が気になりすぎていて、最近ようやく内側からわいてくるものを感じ始めて少し希望が湧いてきました。

そして昨日も書いたけど、子どもがのびのび描いてるのをみると本当に羨ましく・・。大切なのは「のびのびやること」なのかもなーと思えてきました。私は何に邪魔されてのびのびやれなくなったのか?子どものこの“のびのび感”もいつか何かに邪魔されてしまうのか?気になっているところです。

こんな風に、あまり誰も読んで無さそうなここで、未熟さをさらけ出しつつ・・のびのび書いてみようと思います。

今日はサンリツ服部美術館にも行きました。ここでは『色彩の解放 シャガールからクリストまで』が印象に残っています。
写真が普及し始めると絵画はだんだん抽象的な方向へ描かれるようになって、色が自由に用いられて感情が表現されたりしたのだそう。この展示がコンパクトにまとめられていたおかげで私にはとても分かりやすく面白く感じました。
私が観ていて気持ちよく感じたのは、抽象的で要素少なめで質感アリのもの。少し写実的な物に憧れ始めてもいたのですが・・私もきっと解放されたいんだーと思いました 笑。

写真が普及する前の人々は、自分に向き合って感情表現をする習慣も無かったりしたのでしょうか。カラフルなものを観た時に私は心が躍るような気持ちになるけれど、やっぱり色彩と感情の関係は密接なのだなぁ。と気になります。
色彩が解放される前と後で、人間の思考の仕方が変わっているとしたら、いつかその良い所悪い所を比べて改めて自分の思考の仕方を見直したたらまた面白いのかも知れませんねー。

開放すること

子どもが絵を描いてる様子を見ていると、一瞬の迷いも無く手を動かしてどんどん展開させていてとても羨ましい気持ちになる。

同時に、芸術家はこういう子どもの頃の感覚を取り戻すことなのかな?とか、いや、再び子どもの頃のように感覚を解放すると芸術家になれるのかもしれないとか、真面目に考えてしまったりする。

こんな風にのびのびやれれば気持ちがいいのだろうなぁ。

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日常で五感を使うこと

湿気があると草や土の香りは強くなるのかな
この辺は湧き水が美味しくて、ごくごく飲んだり料理に使うためにタンクに汲んでくるのが習慣になっています。

この水を飲んだ時に私は、ただ美味しいってだけじゃなくて水道水に無い甘いというか旨いような味がして美味しい・・と思います。料理して味見する時に味の素因数分解みたいなこと、やりませんか?塩分とあれとこれ(言葉にしにくい・・)とのバランスをみるあの感覚・・湧き水の美味しい部分はあれの、基本ではないその他の部分。深い部分の味で、喜びみたいな「うわぁ〜♪」な感覚をももたらせてくれたりします。(予想以上に言葉にするのが難しい・・!)

この間の、息子が通う園の畑当番の日。とても暑い日で湿気もありました。
牧草地の中にある畑へ向かって歩きながら、「空気が美味しいなぁ。甘いような旨いような・・これが美味しい空気ってやつだなぁ。」と思って、たくさんたくさん深呼吸して幸せになりました。湿気があると草や土の香りが強くなるのでしょうか(田んぼの横でも同じ香りがしました)。
そして、あっ!この美味しさのあの部分、湧き水のと同じかもっ?!と思えました。

自然の中の空気は美味しいっていうのはこれまでも思ってはいましたが、今思うと「みんなそう言ってるし排気ガスとかもないしきっと美味しいんだ〜」くらいの感覚だったのかもしれません。自分で初めて頭ではない部分でその美味しさを実感できたみたいです。この場合は舌と鼻かー。

それから、この夏は車の冷房が苦手になって窓をあけて外の空気を入れながら運転する日々なのですが、住んでる場所がどちらかというと山側で家の方から降りて平地の真ん中へ近づいてくると必ず、外の空気も涼しくなくなって仕方なく冷房を入れることになり、それでまた山側に近づいたら窓を開けて・・という事になります。
窓を開けていると、田んぼや畑や山の中の道では土や草や花や実の香りがして癒されます。牧場の近くでは牛や豚の香り。車が多い道ではやっぱり排気ガスとアスファルトと乾いたホコリっぽい香り。
そんな風に、空気の温度や香りで、あっちからこっちへ空間を移動してるんだなぁと感じられるのが最近なんだか嬉しく思えてきました。この場合は肌と鼻かー。

そうすると五感ではあと目と耳が残っていますが、目はやっぱり色。新緑の黄緑とかを見ると「うわぁ〜♪」です。
耳も、鼻と同じように、虫や鳥の鳴き声などを聴いて、そこにいるなぁと感じながら、自分も移動してるなぁとか思ったりします。

もう何年も前に落ち着いたことなのですが心身を病んだことがあって、一時期喜びを感じることができなくなりました。あのせつなさを思い出すと、今の毎日がとても幸せに思えます。人って五感を使うことが大切なんだなぁと思います。
五感を使ってさきほど書いたように色んなものを立体的?にとらえる事で、自分が今ここにいることを実感できているんじゃないかとふと思えました。
「自分がどの部分を快いと思うか」という自分だけの感覚の位置を確認することができるからかな?
やっぱり上手く表現できませんが・・・。最近すぐ行きたくなる山の上にもこの快さがある気がします。

そういう意味ではテレビやパソコンは平面的なので、やっぱり違うんだと思います。

そして逆の話も・・・
添加物たくさんのものを食べた時、「うわぁ〜♪」な部分は全く無く満足感が乏しい・・。基本の部分の味はしっかりあるけど、しっかりはっきりしすぎて違和感があります。それでなんかずっと口の中に残り続けます・・口の中にずっと居座られます。。

この間、とてもとても久しぶりに電気屋さんへ行きました。
すると、とてもとても居心地が悪く・・・気分が悪くなってしまいました。なんでなんだろう??

あと、コンビニが好きじゃなくなってきました。どこでもほぼ同じでその場所にいる感覚になりにくいからです。そしてこのへんはコンビニ跡に建物をほぼそのままで改装して別の飲食店になったりする事が多く、すぐコンビニ跡だなぁって分かってしまってその土地らしさが薄くなるから、嫌だなぁと。
頭では添加物の事も考えると・・っていうのもあるけど、自然の中で感じるあの快さを感じる場所とは反対の存在なので、五感的にも嫌だなぁと感じてしまいます。そうか、電気屋さんの時の嫌な感覚もそれなのかもしれません。テレビやパソコンの中には、あの快さを感じられません。

あの快さ、の感覚、これはなんなんだろう?
快さを知ったから、それとは違うものを快くないと感じるようになりました。
不思議。でもとても大切な感覚。日々の小さな幸せです。

花火を撮るか観るか。

花火大会は視界いっぱい、ドーン!っていう音も肺の中に空洞(ってあるのかな?)に振動とともに響き渡る数十分間。地方に住んでて良かった〜と思える瞬間です。

ここ何年かはそんな風に楽しんでいるのですが、今年は花火の写真をこれまでと違って2,3枚なんとなく撮った程度でした。そんな風に最近は色々な場面で自分が写真を撮る機会が減っているなぁと感じています。
前までは「いいなと思ったものは全部写真に記録しておきたい!」みたいな気持ちがありました。
今はどうでしょう・・「“撮ろうとしている時間”がもったいない?全てを五感で感じて感覚に刻みつけたい!」・・みたいな感覚があります。
スマホだと上手く撮りきれないというのも理由の一つだと思うけれど。。
↓視界いっぱいで感動してもこんな風にしか撮れない・・
花火

でも、花火大会みたいなものは毎年あるから、しっかりその時間を堪能してまた来年を楽しみにすればいいのかなぁとも。
綺麗に撮れても、きっとそれは肉眼で観たのとはまた別世界なのだろうな。

多分、撮る機会が減ったのはだんだんそういう風に感じてきていたからだと思うんですが、今回は私がそれでも一応とっておこうと思ってぱっと写真を撮った時に、一緒にいた子どもが「ぼくも〜」って撮りたがったことがきっかけではっきり意識できました。子どもに対しては「キミにはちゃんと五感で味わってもらいたい」と思ったのでした。

今この時に集中することが、幸福感につながると色々な所で言われているのが気になっていて、普段から自分なりに外からの情報に流されすぎないようにしたいなぁと思っています。
けれど、感動を記録することも大切・・。適度なバランスを見つけられればいいなぁ。

けれど、ほんとうに車も歩いて5分ほどの所に駐められ、場所取りも必要無し。好きな所にゴザひいて座って観られるのです。
東京在住の時に有名な花火大会に出かけた時を思い出すと夢のようだわ〜。

ちひろ公園の小さな池

ちひろ美術館のビオトープ

カエルが石からポチャンと飛び込んで、スイスイッというか足をヒラヒラッとさせて光る水面をくぐり、泳いですぐそばの石に飛び乗る。動く水面。周囲の水面と水草がタプンッと揺れる。泳いでいる姿がかわいい。
コンマ何秒の間の事だけれど、これだけの事が見られてうわぁっと感動しました。ちひろ公園の池で見た光景です。

以前、クモの巣でクモが獲物をしとめる瞬間の話を聞いた事があります。クモが動き出すタイミング、どこからどんな風に糸を出すのか、獲物を糸でぐるぐる巻きにしてすぐに食べないで置いておいていつ食べるのかとか、それも数秒間の世界で図鑑を読むだけでは味わえない感覚があるという事で、私はその話を聞いただけで感動もしたのですが、今回このカエルが水に飛び込む様子を見て、やっぱり実際にその光景を目の前にすると全然違うんだと思いました。

きっと、さっきの私の文章を読んだだけでは、カエルと水面と石と水草しかイメージの中には現れない。けれど実際は周りに色んな生き物がいて、水がタプンッと揺れた時にびっくりして一斉にあちこちへ動いて逃げたりもしていました。 みんながびっくりするけれど、カエルは遠慮なしにあちこちで同じように飛び込んで泳いでいる。周囲はびっくりするけれどすぐに何事も無かったように元の様子に戻るのです。 ほかにも、全く音も無く水面に窪み(アメンボの水面張力のような)すらつけないで静かにさささっと移動する虫もいます。

ほかに印象に残ったことは・・ ------------------------ アメンボ、1匹ほかよりも大きいのがいる。ほかのを追い払っている。 中くらいのがいる。小さいのもいる。もっと細かいちっちゃいのもいる。アメンボはアメンボでも色んな大きさのがいるんだな。そして大きいやつは偉そうだ。 とても小さいクモみたいな虫が石の上にいる。歩き出してそのまま水に入った・・と思ったら同じ速度で、同じ調子で水面をササササササ・・・っと歩いた! 同じように歩く、今度は小さな小さなハエのような虫も。こいつらは仲間の数匹と一緒に水面に立ち止まってじっとしている。アメンボ以外でも水面を歩ける虫がいるんだなー。
息子が、蝉の抜け殻だ!と言って持ってきたのは、おそらくヤゴの殻。そうか、抜け殻って蝉だけじゃないんだ〜。 今度は卵だ!複数の小さな卵がくっついた状態で水面に浮いている。すると背中にびっしりこの卵をくっつけて泳いでいる虫が。ぱっと見ゲンゴロウ?と思ったけどカメムシの仲間のコオイムシのようだった。これは図鑑の知識だけれど、卵を背負ってるのはオス。イクメンな虫なのだそうだ。 ------------------------ などなど。

子どもたちもイキイキと池に入ってみたり石をどけてみたり。メダカもいるので網を持って救おうとしている子もいました。 私も最初池を見た時は「水草が生えちゃってるな〜。この水草は確かテレビのニュースで諏訪湖かどっかで毎年取り除く作業をしてて大変だって言ってやつだ」って、ちょっと悪い印象を持ちました。 でも、子どもはいち早くこの豊かさに気づいたのか、その場を離れようとしません。そのおかげで私も座って池を眺め、こんな光景を見られたのでした。子どもは面白いことに気づく天才だなぁと思いました。

と言っても、きっと子どもはどんどん忘れていってしまう。そばで見ている大人が一緒に体験して、心に刻むような・・こうやって文章にするような事って実は大切なのかもしれないなーと思います。