memo

日々のものづくり&気になることいろいろメモ

考えずに感じろ?

この間久しぶりに玄米おかゆパンを買って食べたら「う・・うっっまーーーい!」ってなった。
最近は何かが美味しくても「あぁ、(わりと)うまいね」くらいにとどまる感じで特に不満もなかったけど、このパンを食べると身体の中心(胃袋?)からぐわぁあっというか、うおぉおっと喜びのようなものが湧いてきた。

そういえば昨年度はこの感覚を初めて知り、何度も出会ってた。きっとその時にいた周囲の方々に食べさせてもらっていたんだ。

私はこういう“素材の美味しさ”に、うおぉおっとなるようだ。この うおぉおっ は、なんだか恋してときめくような感覚に似ていて、数日経つけど時々ふと思い出す。そしてその後、最近食べ慣れてたはずの似たような食べ物でも、少しうぉおっとなった。センサーみたいなものが再び復活したような・・。

この感覚は大切にしたい。以前だと「やっぱり砂糖・乳製品・動物性不使用がいいんだ」とか思っただろうけど、今はなんかそういう風に頭の中でかみしめるより自分にとってうっまーい!と感じた事実だけでいいやって感じ。
でもそういえば、冷えた身体に温かい飲み物を飲んだ時も、うっまーーい!だなぁ。冷えた身体に温泉も似たような喜びがあるな。

五感で得た喜びは身体に刻まれて残るということなのかもしれない。
ひょっとしてその経験があると、人にも与える事ができたりするのかな。どうだろう。

子どもらしさって

息子を見てると、自分の中の“子ども”に対するイメージと違うなと思う事が多いけど、これは小さい頃の自分と比べて違うと思ってるだけなのかな。

漬物・梅干しが好きだとか、おにぎりは味付けナシでいいと言いおかわりを自分で握って食べるとか、テレビのニュース中にドライヤー使ったら聞こえない!って怒ったり、災害ドキュメント中に仕上げ歯磨きしようと寝転ばせたら見えない!って泣くくらい興味持ってるとか、お手伝いするとか、
種ありのポンカンやブリ焼きの骨を文句言わずに食べてるとか、いつのまにかミカンの皮を剥いて父ちゃん母ちゃんへ配る係になってたりとか。

そういうの、小さい頃の自分には無かった。
カレーとかドリアとかばっかりリクエストして食べてた。テレビはアニメばっかり。父がニュースにチャンネルを変えたら文句を言って席を外した。種有り骨有りのものは面倒で食べたくなかった。お手伝いせずに、仕事から帰宅したての母に、おなかすいた早くごはん食べたいとか言ってた。世の中のことに興味はなかった。
だから、息子を見てると「変な子だなー」と思う。(笑)付き&興味深い感じで。

でも、そんな息子も外では元気で素直で子どもらしくていいねーって言ってもらえたりしてる。子どもらしさってなんだろうな?
子どもらしいものをあまり与えなくても、子どもはちゃんと子どもらしいのだな。
逆に私の方が、小さい頃の世界(生活習慣?)から抜け出すのに時間がかかっていて、今でも子どもっぽくて自信が持てない部分がある気がする。そのおかげで学ぶこともあるけど、なんだか息子がうらやましいのでありました。

北風と太陽

なんだかふと思う事があって『北風と太陽』を検索してみたら、よく知られている旅人の上着を脱がせる1回勝負で太陽が勝つだけのお話と、その前に帽子を吹き飛ばして北風が勝つ話がくっついた2回勝負のお話もあるそうだ。

太陽が勝つだけのお話だと教訓は、
“冷たく厳しい態度で人を動かそうとしても、かえって人は頑なになるが、暖かく優しい言葉を掛けたり、態度を示すことによって初めて人は自分から行動してくれる”
(前後を少し略しました)になって、

両者が勝ったり負けたりするお話だと、
“何事にも適切な手段が必要である”
と、なるとのこと。

両方納得。でも寛容な態度の方が意外と人を動かせるというほうが目からウロコだな、、というか実体験もあって、北風が頑張るほどに旅人が上着をぎゅっと押さえてしまう感じなんて上手い例えだなぁと思った。
でも、最初に北風が頑張って着込ませたから太陽が有利になることもありそう・・。どっちが完璧とかはないのかもしれない。

あぁでも、私は太陽でいたいなーと思ったのでした。そして北風とも仲良くしたい。晴れの国、だけどたまーに北風呼んで色々吹き飛して初心を思い出すとか。

Wikipedia 北風と太陽

覚悟が足りない

今日、息子と歩いて帰ろうとしたら1人でどんどん走って行ってしまって、もう既に少し走っても追いつかなくて(鈍足な母のため)「あぶない!呼んでも声が届かない所まで行っちゃうなんてだめ!しばらく歩いて帰るのやめよう!」と叱った。息子はとてもショックを受けていた。

でも、本当にあぶないと思ったのなら、死にものぐるいで自分で走って追いかけてとっつかまえれば良かったのかもしれない。私は息子のせいにして叱ってしまった。人のせいにしてキレてしまった。

いつも寝る前にお休みギューってやるところを、息子は今日はじめて「しばらく、おやすみギューしない」と言って寝た。ああ、お返しされたな。
そうか・・仕方ないな・・と思って私は黙って受け入れた。
少しして、息子が目がかゆいから洗うと言って起きてきた(これは良くあること)。その帰り、黙ってギューして「おやすみ」と言って寝室へ・・。
とても申し訳ない気持ちになった。

園のホームページを作って、お母さん方が、大変だったんじゃない・・?ってよく心配してくださるんだけど、それも、やるからには楽しんでやる覚悟が足りなかったのかもしれない。きっとなんだか辛そうに見えたりしたのだ。確かに入ったばっかりで誰に相談していいか分からず困って悩んで疲れてしまっていたし。

最近、園の保護者の中で、係の負担を軽くしようという空気になっていて思った。やらなくてもいいって言われても、私はホームページの作業をする。今やってるパンフ作りだって。そうか、私はやりたくてやっているのだ。
でも、なんだかんだ疲れたりで体調崩しがち。そんなの見てる方は気持ちよくないな・・別に無理しなくてもいいのにってなるのは無理ないな。申し訳ない。

やりたくてやってるのに、覚悟が足りないんだと思った。
口だけ大丈夫って言ってて、口だけあぶないだめだと言ってて、行動しきれていない。そして疲れて見えるなんてなんだか痛々しいな・・痛いな。

同じインフルにかかって、動いてた旦那と動けなかった私。
もしかして、そんな覚悟のようなものが普段足りてたら、私も動けたんじゃないか?感謝しつつ、自分のそういう所が浮き彫りになった感じがした。

オリンピックの選手たちを見ていても、この人たちと自分との違いは集中力の高さもそうだけど、覚悟できてるかできてないかだと思った。
やりたい事へ対しての覚悟が足りない。やりたいって口ばっかり。覚悟が足りなくて集中できない。そして不調にひっぱられてしまう。

人付き合いでも、この人と仲良くなりたい!って覚悟が足りてない・・

これについてよく考えて行こうと思う。

これ”で”いい、がたくさんある生活

家族でインフルエンザで倒れた後すぐ、大雪に見舞われてしまった。
でも生活のベースをささやかなものにしていたおかげで、この非常時にも比較的混乱せずにすごせた。

まず私が倒れ3日間何もできなくなったけど、普段の食事が、ごはん・味噌汁・漬物・納豆などがベースになっていたので、すぐに旦那が代わりをしてくれた。洗濯も毎日してくれたので溜まらなかった。
インフルエンザ&大雪で全く外出が出来ない数日間だったが、
味噌が無くなったけど自家製の味噌樽が床下にあって補充できた。
漬物が無くなったけど物置に漬物樽でつけてあってすぐに持って来れた。
食器洗い用石けん水が無くなったけど、粉石けんから作る習慣がありすぐにストックを出してこられた。
柑橘類を頻繁に買わないでいいようにポンカンを箱買いしてあったのも病人と子どものおやつに良かった。

あれ買わなきゃ・・になる機会を減らした生活のおかげで、焦らずにすみ、病気と雪以外家の中はいつも通りだった。
特に食に関しての非常時にもゆるぎにくく、すぐに取り戻しやすい「いつもの生活」がある安心感がとても良かった。手間がかからず美味しくて安心安全でもある食事のベース。それを旦那も理解してくれていて、私が倒れてもすぐに代わりになってもらえた。

漬物煮干しごはん
お漬け物数種と煮干しの組み合わせはとてもおいしい!
売ってるお漬け物は薬品などで殺菌処理が必要だったりするようで、手作りと同じものは外で買えないのです

でも、この安定感の中には旦那もインフルエンザを発症したにもかかわらず、白いお薬で症状をおさえ、雪かきや家事をしてくれたからというのがある。全く動けなかった私は漢方(しかもさらにききめのゆるいの)を飲んでいた。熱が下がっても食事が上手く取れず旦那の滋養強壮ドリンクを分けて貰い久々にのんでやっと持ち直す始末・・。今後は体力の乏しい私も自然の力ばかりへ意識を向けすぎず、無理せず科学の力も借りて行かなければいけないと思った。乗り切れたのは旦那のおかげ・・。

食で上手くいったから、食以外にもこの安定感を作っていきたいと思えた。
例えば洋服は、アイロンがけナシで余裕が無くてもさっと着られるコーディネイトが2種あり、つらくても考えなくても好きな服が着られた。同じ服装が続いてしまうけど好きな感じだから、ごはんと味噌汁が続いても良くなったみたいに、あまり気にしないで済んだ。
食だって、いつもいつもずっと漬物と味噌汁だけな訳ではなく、食べたいものを足せばいいし、時々カレーにしたりパスタにしたり楽しめれば十分。つかれたなーって時に最低限になるだけです。

身の回りの色々もそうなっていけば、普段からもっと片付けやすくなったり、在庫の管理もしやすくなりそう。しかも思考しなくても自分的な質を保てるので、今までそれについての試行錯誤に費やしていた時間を、好きなことへの意識へまわすことができ、日々を充実させられるのではないかとワクワクまでしてくる。
雑誌の素敵な人や、あこがれの人の、あの生活を目指してゴールするために、私は生きてるんじゃないって再認識した。

原研哉さんの無印良品の「で」の考え方*1 みたいな、不満足やあきらめを含んだものではなく、自信をもってこれでいい、と言えるような「自分たちにとってこれ”で”いい」なシンプルさを持った日々の生活のベースをたくさん作ることができたら・・そして生き甲斐を感じるのはまたそれとは別のものでありたい、と思った。

息子ももう少し大きくなればお味噌汁とご飯くらい作れるようになるだろうし、みんなで助け合えるようになるだろう。それは子どもにとっても自信になるんじゃないかな。
そして、この習慣はきっと息子が独り立ちするのにも役立つんじゃないだろうか。仲間を助けたり充実した健やかな日々をおくるためにいいんじゃないだろうか。
でも、まだ私にもできてないんだから言えないな。充実させなくては。見本を見せられるように頑張ろう。

大雪
デッキが埋まってしまった

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やってて良かった。
1)ごはん・味噌汁・漬物と、+ちょっとした何か、な生活。
2)色々と漬物をつけてあった。
3)しょっちゅう買い物に行かなくてもよい生活。
4)柑橘類の箱買い。

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*1
“ここで言う「で」は、不満足やあきらめを含んだものではなく、自信をもってこれでいい、と言えるようなものである。”原研哉
http://www.musabi.ac.jp/d-info/y04/keieiron/4-1.html