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覚悟が足りない

今日、息子と歩いて帰ろうとしたら1人でどんどん走って行ってしまって、もう既に少し走っても追いつかなくて(鈍足な母のため)「あぶない!呼んでも声が届かない所まで行っちゃうなんてだめ!しばらく歩いて帰るのやめよう!」と叱った。息子はとてもショックを受けていた。

でも、本当にあぶないと思ったのなら、死にものぐるいで自分で走って追いかけてとっつかまえれば良かったのかもしれない。私は息子のせいにして叱ってしまった。人のせいにしてキレてしまった。

いつも寝る前にお休みギューってやるところを、息子は今日はじめて「しばらく、おやすみギューしない」と言って寝た。ああ、お返しされたな。
そうか・・仕方ないな・・と思って私は黙って受け入れた。
少しして、息子が目がかゆいから洗うと言って起きてきた(これは良くあること)。その帰り、黙ってギューして「おやすみ」と言って寝室へ・・。
とても申し訳ない気持ちになった。

園のホームページを作って、お母さん方が、大変だったんじゃない・・?ってよく心配してくださるんだけど、それも、やるからには楽しんでやる覚悟が足りなかったのかもしれない。きっとなんだか辛そうに見えたりしたのだ。確かに入ったばっかりで誰に相談していいか分からず困って悩んで疲れてしまっていたし。

最近、園の保護者の中で、係の負担を軽くしようという空気になっていて思った。やらなくてもいいって言われても、私はホームページの作業をする。今やってるパンフ作りだって。そうか、私はやりたくてやっているのだ。
でも、なんだかんだ疲れたりで体調崩しがち。そんなの見てる方は気持ちよくないな・・別に無理しなくてもいいのにってなるのは無理ないな。申し訳ない。

やりたくてやってるのに、覚悟が足りないんだと思った。
口だけ大丈夫って言ってて、口だけあぶないだめだと言ってて、行動しきれていない。そして疲れて見えるなんてなんだか痛々しいな・・痛いな。

同じインフルにかかって、動いてた旦那と動けなかった私。
もしかして、そんな覚悟のようなものが普段足りてたら、私も動けたんじゃないか?感謝しつつ、自分のそういう所が浮き彫りになった感じがした。

オリンピックの選手たちを見ていても、この人たちと自分との違いは集中力の高さもそうだけど、覚悟できてるかできてないかだと思った。
やりたい事へ対しての覚悟が足りない。やりたいって口ばっかり。覚悟が足りなくて集中できない。そして不調にひっぱられてしまう。

人付き合いでも、この人と仲良くなりたい!って覚悟が足りてない・・

これについてよく考えて行こうと思う。

これ”で”いい、がたくさんある生活

家族でインフルエンザで倒れた後すぐ、大雪に見舞われてしまった。
でも生活のベースをささやかなものにしていたおかげで、この非常時にも比較的混乱せずにすごせた。

まず私が倒れ3日間何もできなくなったけど、普段の食事が、ごはん・味噌汁・漬物・納豆などがベースになっていたので、すぐに旦那が代わりをしてくれた。洗濯も毎日してくれたので溜まらなかった。
インフルエンザ&大雪で全く外出が出来ない数日間だったが、
味噌が無くなったけど自家製の味噌樽が床下にあって補充できた。
漬物が無くなったけど物置に漬物樽でつけてあってすぐに持って来れた。
食器洗い用石けん水が無くなったけど、粉石けんから作る習慣がありすぐにストックを出してこられた。
柑橘類を頻繁に買わないでいいようにポンカンを箱買いしてあったのも病人と子どものおやつに良かった。

あれ買わなきゃ・・になる機会を減らした生活のおかげで、焦らずにすみ、病気と雪以外家の中はいつも通りだった。
特に食に関しての非常時にもゆるぎにくく、すぐに取り戻しやすい「いつもの生活」がある安心感がとても良かった。手間がかからず美味しくて安心安全でもある食事のベース。それを旦那も理解してくれていて、私が倒れてもすぐに代わりになってもらえた。

漬物煮干しごはん
お漬け物数種と煮干しの組み合わせはとてもおいしい!
売ってるお漬け物は薬品などで殺菌処理が必要だったりするようで、手作りと同じものは外で買えないのです

でも、この安定感の中には旦那もインフルエンザを発症したにもかかわらず、白いお薬で症状をおさえ、雪かきや家事をしてくれたからというのがある。全く動けなかった私は漢方(しかもさらにききめのゆるいの)を飲んでいた。熱が下がっても食事が上手く取れず旦那の滋養強壮ドリンクを分けて貰い久々にのんでやっと持ち直す始末・・。今後は体力の乏しい私も自然の力ばかりへ意識を向けすぎず、無理せず科学の力も借りて行かなければいけないと思った。乗り切れたのは旦那のおかげ・・。

食で上手くいったから、食以外にもこの安定感を作っていきたいと思えた。
例えば洋服は、アイロンがけナシで余裕が無くてもさっと着られるコーディネイトが2種あり、つらくても考えなくても好きな服が着られた。同じ服装が続いてしまうけど好きな感じだから、ごはんと味噌汁が続いても良くなったみたいに、あまり気にしないで済んだ。
食だって、いつもいつもずっと漬物と味噌汁だけな訳ではなく、食べたいものを足せばいいし、時々カレーにしたりパスタにしたり楽しめれば十分。つかれたなーって時に最低限になるだけです。

身の回りの色々もそうなっていけば、普段からもっと片付けやすくなったり、在庫の管理もしやすくなりそう。しかも思考しなくても自分的な質を保てるので、今までそれについての試行錯誤に費やしていた時間を、好きなことへの意識へまわすことができ、日々を充実させられるのではないかとワクワクまでしてくる。
雑誌の素敵な人や、あこがれの人の、あの生活を目指してゴールするために、私は生きてるんじゃないって再認識した。

原研哉さんの無印良品の「で」の考え方*1 みたいな、不満足やあきらめを含んだものではなく、自信をもってこれでいい、と言えるような「自分たちにとってこれ”で”いい」なシンプルさを持った日々の生活のベースをたくさん作ることができたら・・そして生き甲斐を感じるのはまたそれとは別のものでありたい、と思った。

息子ももう少し大きくなればお味噌汁とご飯くらい作れるようになるだろうし、みんなで助け合えるようになるだろう。それは子どもにとっても自信になるんじゃないかな。
そして、この習慣はきっと息子が独り立ちするのにも役立つんじゃないだろうか。仲間を助けたり充実した健やかな日々をおくるためにいいんじゃないだろうか。
でも、まだ私にもできてないんだから言えないな。充実させなくては。見本を見せられるように頑張ろう。

大雪
デッキが埋まってしまった

——

やってて良かった。
1)ごはん・味噌汁・漬物と、+ちょっとした何か、な生活。
2)色々と漬物をつけてあった。
3)しょっちゅう買い物に行かなくてもよい生活。
4)柑橘類の箱買い。

——
*1
“ここで言う「で」は、不満足やあきらめを含んだものではなく、自信をもってこれでいい、と言えるようなものである。”原研哉
http://www.musabi.ac.jp/d-info/y04/keieiron/4-1.html

雪のかたち

雪の結晶

うっすら雪が積もった朝、車を運転しながら地面がやたらキラキラしているなーと思って、気になって車から降りた時に見てみたら雪の結晶が降り積もっていました。たまたま大きいから気づいたけど、いつもの雪も小さくて気づかないけどよーく見るとこうなのかも!と思ったら胸が躍りました。

そういえば前にも見たなぁ・・と写真を探してみたら去年の今頃でした。この時はただ水分が凍てついて結晶化したのかなーとも思ったのですが、今年のを見ると降ってきてるのが分かります。ロマンチック〜♪
 雪の結晶2

雪を踏む音

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子どもと今日の集合場所まで歩いてみた時のこと。
あまり時間に余裕が無くて、サクサク歩いたけど4才は頑張ってついてきていた。(成長したなぁ)

急いでただ歩いていただけなんだけど、雪を踏みしめる音が心地良かった。帰りもその音を聞きながら歩いた。

言葉でどう表現するのがしっくりくるかな?サッククク・・サッククク・・とかかな?とか考えながら歩いた。

今日は山がくっきり見えるな。大きいな。私は大きな山に囲まれているな、包まれてるな。
空が青いな。飛んで行く飛行機が白く透明がかってみえる。自分が描きそうにない角度で飛んでる。
鳥の声が聞こえるな。どこかなあのへんかなすずめかな、当たった〜とか。

ひたすら頭に浮かべてみたら、とても癒されました〜

子育てしていると・・

うちの子はまだ4才でまだまだ先の話だけれど、先輩お母さんの話を聞いたり色々な記事を読んでいるうちに、9才ごろにあるらしい子供の変化が気になってきました。
この頃に親を客観視し出してある種の親離れがあるようで、シュタイナー教育に基づいた講座を開いている先生は「9才の危機」と表現していました。

↓このブログもシュタイナー系。
「9才の危機」森へ行こう(心とからだと子育てと)
「9才の危機(その2)」森へ行こう(心とからだと子育てと)
ここを読むと幼い頃に自然や大人との関わりなど、現実社会の中に楽しさを知れている事がこの時期に対しての準備になるとのことです。
自分はどうだったかなぁと考えてしまいます・・。
でも、何の人の手も加わってないものとか、現実的な日々の作業とか人との関わりに楽しさ(日々に喜び)を感じる力が身に付けられていたらとてもいいだろうなぁ、身につけたいなぁと今現在強く思ってはいるのは確か。

そして、このプレゼンも思い出しました。
ベンジャミン・ザンダー「音楽と情熱」TED
これを見てとても感動しのたのですがそれは今はおいておいて、、

ここではクラシック音楽の素晴らしさをプレゼンされています。
子供のピアノの上達の仕方を7才のリズムの取り方は〜という感じで、11才まで説明があって、そこで上手く楽しさが見つけられないと、ピアノを続けられないと言っています。

7才はリズムを一音一音とっていて、11才は楽譜全部でひとつのリズムで捉えて、曲に込められた思いを理解して強弱がつけられるようになるようです。
ですが、うまく理解できないでリズムを細かく単調にとっているだけでは、疲れやすく飽きてしまって続かないとのことで、とても印象に残りました。私自身も習字とかそろばんとかを早いうちから習っていたのに行かなくなってしまったのは、これくらいの時期だった気がします・・

9才ごろにきちんと何かに向き合って、楽しさを見出す経験をして熱中出来るかどうかが大事そうだなぁと思いました。こういう変化があると知っていれば、子供への接し方を比較的考えやすくなりそうですよね。

私はとっくに9才の何倍も生きてしまっていますが、リズムのとり方=意識の仕方と考えて、もう少し疲れない生き方をしたいものだと考えたりしていました 笑。社会活動が怖かったり自信が無かったり、何かに熱中して自分でやり続けていることは無い気がします・・。そして本当にやりたいはずの作品づくりからは逃避しがち。自分の問題としてもこの件に興味がわきました。
子育てしていると、こんな風に自分を育て直しているような気持ちにもなります。

と言いつつ、これまで緊張と緩和とか、ハレとケについて知った時に、同じようにヒントを得られたと思って考えてみてもなかなか上手くやれていなかったりします・・きっと自分でもがくしかないのでしょうね(助けて〜)