2013年の思考まとめ
誰が読むねんパート2!というか、そういえばいつも誰が読むねんな事ばかり書いてましたね・・。結構自分にとって大事なことに気づいた気がする1年だったので書き留めていたメモを元にまとめてみました。全てに(※自分の場合)と注釈がつくような感じです。
- 絵が好きだからとか、認められたいとかは、動機にするのは難しい。
- 誰にも期待されなくても、下手でも、それは絵を描かない、つくらない理由にはならない。モヤモヤときちんと向き合う事が本気になることと言えるのでは?
- 有名な画家のように戦争反対などの強い想いや意志は持てていないが、自分には感動(ワクワクしたり心が動かされたり)したことと、それを人に伝えたいという想いに描かされる状態がきっといい。感動すること、その気持ちを伝えることで、自分の存在も大きく感じられる(自己肯定)。
- 色々なものの在り方について、「そこにただ存在するということは、浅い目で見ると当たり前で真新しく見えない。でもあらゆるものも目に見えない独自のルールを持ってそこに存在している。そこがどれだけ整理されているかが、どれだけ洗練されて見えるかに関係してくるのではないか」と思った。
(堀文子さんの、実物そのものではない整理された線・記号一歩手前のあたたかく心地よい線や配置について考えているうちに気づいた。) - 子供に独自のイメージの世界をつくれるよう、環境を考えて刺激の強い物をできるだけ与えないようにしている事について、自分が人の作ったイメージに侵されているからそうしようと思うのではないか、自分自身が一番恐れていることなのではないかと気づいた。けれど自分の親を見ていると、親自身が子供の頃にした苦労を自分の子にさせたくないと思うのは普通なのかもしれないとも思う。
- ファンタジー、想像の世界は特に子供には必要だ。
現実は生々しく、直視するには負担が大きすぎる。ファンタジーのフィルタを通してワクワク楽しみながら向き合うことを仮経験することで、自立の準備ができるのかもしれない。疲れた大人もファンタジーの力を借りれば現実と向き合えるのでは? - 人が作ったイメージの土台にのっかって考えを書いた文は後から読もうとしても、読み飛ばしたくなる事が多い。
あとは、時事のことなどは生鮮品のようなもの?とか、自分で考えた事は後で読んでもよい刺激になっていて、積み上がるものなのかも?と思った。 - 人との対話が上手くない自分が、つまらない人間なのではないかと苦しくなることがあるが、
つまらない=分かりにくいというだけのこと、悪い事ではない。
時間をかけて味にする。身なり、振る舞いは地味でも、在り方・行動を追求し、味のある人間になりたい。と思った。 - 疲れやすいのは、一つ一つを意識し過ぎているからなのかもしれない。出来るだけ流すように、一つ一つを軽くしていきたい。