悲しい思い出を笑えた。
ふと、2,3年まえの悲しい思い出が頭の中に蘇りました。
今はすっかり気持ちも前向きになれていて、
思い出として振り返ることができるのが、まずよかったなぁと思うのですが、
それからその頃の自分をどうすれば救えたのだろうと考えて、書き留めておきたくなりました。
私はその時期、「私なんていてもいなくても同じなんだろうな」
という風に、自分の存在価値を見いだせないでいました。
すごく仕事(デザインの仕事)が忙しくて、起きている時間はほぼ仕事をしていたので
主に仕事に対しての気持ちだと思います。
どれだけ働いてもむなしくて、
その後、自己管理もうまくいかなくなって会社をやめてしまうまでになってしまいました。
自分の中では大きな挫折だったのですが、
一番悲しいと感じているのはそれよりも、
一緒に仕事をしていた周りの人がちゃんと評価してくれていたのに、
どうしても「私じゃなくてもどうせ・・・」というような気持ちになって、
素直に喜べなかったことです。
せっかくよい評価といえる、温かくてステキな言葉をもらっていたのに、
自分の中の「私じゃなくてもどうせ」という殻がはじいてしまっていたような。。
この間の宮崎駿監督の特集をテレビでみた時にも、
監督が「誰かに自分の作品を楽しんでもらうことで、自分の存在が許されるんじゃないか」と思っていたとおっしゃっていたのですが、私にもそれと同じ気持ちがありました。
自分のデザインやイラストを誰かに喜んでもらえたら、なんだか救われる気になるのです。
けれど、その時はいくつか考えられる理由のために“仕事はたまたま、自分にやってきて、ただこなしている”ような感覚になってしまっていたので、ただただ空しくなるばかりだったのです。
調子を崩してから、周りの方々は本当に温かく手をさしのべてくれたのですがもう手遅れで。。。
そして思い出として蘇ったついでに、あの時の自分をどうやったら救えただろうと、今だから分かるかもしれないと思って考え始めたのでした。
評価が給料に反映されていればよかったんだろうか。とか、
仕事をもっと軽いものに変えてもらっていれば。。とか、、
けれど、なんだか違う気がしました。
もっと、自分の中にこたえがあるような。。
で、出たこたえは「素直になって誰かに相談すればよかった」でした。
ものすごくシンプルというか、ごく普通な解決方法・・・。笑
あの時は同じ立場の近しい周りの人々が男性ばかりだったのもあって、
「自分は弱いな、、どうやったらみんなのように強くなれるんだろう」とばかり考えて、
たぶん色々と我慢してしまっていた気がしました。
“強くなる事”という漠然的なことが解決方法だと思っていたのです。
弱い強いってなんなんでしょう。いまだにわかりません。。
それと、時間が経った今一番に思い出した「どうせ私じゃなくても・・・」というむなしさ。
きっと色々頭の中をぐるぐるしていたけれど、それが大きい原因?だったのかもしれません。
つまり、早いうちから周りの人に「どうせ自分がいなくても・・・と思っちゃってむなしくなるんだけれど、あなたもそう思ったりしない?」とか、お酒をのみながらでも話せればよかったのではないかなぁと。
そういい切ってしまうのは強引かもしれませんが、なんだか妙に納得できるのです。
そんな感じで、当時はものすごーーーくつらかったのに、結局解決方法は意外と簡単だったんだなぁと思えてちょっと笑えたのでした。
また繰り返さないように気をつけよう。
*
余談ですが、その頃周りのデザイナーに女子がいなくって、「女子がいてくれたらいいのになー」とずっとずっと思っていたのですが、私がやめたらたくさん増えました。そして、次の会社でも女子がいなくて・・・。今はフリーのイラストレーターだから関係ないけれど、私は女子を寄せ付けない体質なのかもしれないと本気で思っていたのですよー。