memo
日々のものづくり&気になることいろいろメモ

それぞれの10年

東日本大震災からもう10年経つのか。

あの時、安曇野のこの家も結構長く揺れ、テレビの映像に驚いた。当時1才の息子はまだ揺れや津波の映像を怖がる感じじゃないようでホッとした感覚を思い出す。原発事故が起こってしまいどんな影響を受けるか全く分からない間は、昆布をたくさん食べようとしたり(これはすぐに意味無いと分かった)、息子が畑でミニトマトを採って食べようとしたら一応洗って食べさせたりもした。大人より子供への影響が大きいとの事から出来る限りの事をしておかなければと思って。物事をきちんと考えはじめるなら今でしょうって、より色々な事を知ろうとするきっかけになったと思う。

食(放射性物質や添加物など)の不安から始まり、科学や医療、はたまた政治に関する事まで知りたい欲の赴くまま読み続け、今では自分で考えるための土台(体幹?)ができた。

そう思えるようになったのは、震災や原発事故関連のことで、専門家や、現場で向き合う方々が、デマが広がらないように説明する努力を重ねてくださっていたおかげだ。
特にTwitterは、短い文で要点が述べられ、データも示され、その反論に対する反論…議論?も行われ、あらゆる角度から知りたい事を知れた。
残念ながら、考えの違う人同士の議論の結果はほぼ決裂するのだけど…、そのやりとりを見ている人の考えが変わることを切実に祈り、身を削って発信を続けてくださっている方を何人もみかけ、そのたびに感動した。

それがはじめて不安を捨てて信じていいと思えたきっかけだと思う。あの時は、本当に嬉しかったな。陰謀論も色々みて不安になっちゃってたので、世の中捨てたもんじゃないって光が差した瞬間だった。そうやって一つ、論理構造?を把握できたことで、その後ほかの事についても考えやすくなっていった。土台といったのはこの事。私は直接被災しなかった立場だけれど、こんな影響の受け方をした事を忘れないで居ようと思う。

具体的に色々みてきた内容を、ここに書くのは難しすぎるので書かない。
ただ、一番知れて良かったと思うのは、各事柄についてはどこかに必ず真摯に向き合って誠実な“いい仕事”をしている方々がいるという事。そして、自分の心の中の不安に見切りをつける事で、その仕事をお手伝いできるかもしれない事。絶対無視したくない仕事たち。敬意を表し続けたい。
そうだよな。誠実な姿勢でいれば、大きな不安ならなおさら、あらゆる叡智を尽くして解消しようとするよね。それで時を経て多角的に検証されるから、難しくて分からなかった不安もだんだん減っていくよね。

もし世の中が、そんな誰かのいい仕事で多く成り立っているとしたら、なんと素晴らしいことだろう。分からないけど、私はそうあってほしい。まだ隠れているそんな人たちの存在も知りたいし、そんな世の中のいい部分を子にも伝えていけたらと思う。逆にその事を脅かそうとするデマには毅然とした態度を取りたい。

これからも考えていかなくちゃいけない事はあるけれど、いまそんな風に思えているのは良かったと思う。自分もいい仕事できたらな。
ますます復興がすすんで、人々の不安な気持ちも減っていきますように。日々おだやかに暮らせますように。