事実と妄想
この間書いた記事「いつもお世話になっております」で、私は思考があちこちに飛んで対話の中でもとんちんかんな事を言ってしまっているのではないか、と不安いっぱいになっていたんだけれど、それから色々見聞きし、少し前向きになることが出来てきました。
友人がなぐさめの言葉をかけてくれたのもありがたかったのですが、今、世を騒がせているナンタラ細胞のOボカタさんを批判する人・信じる人の意見が書かれたブログ記事をいくつか読んで観察していると、色んな想像の仕方があって「フムフムこの人は事実以上のその部分でそんな風に想像を膨らませるんだ・・あれ?みんなも結構私と一緒で思考があちこちに飛んでいっちゃってる??」と思うようになりました。想像って、それぞれ自分の身近な物事を材料にしてするしかないのでしょうか。
また、仕事などでアイデア出しを何人かでしていると、そんな思考があちこちに飛びがちな性質があると意外な案が浮かびやすいのかもとも思えました(うまくいけば・・)。そして脱線しすぎたらまた戻って来られればいいのかも?脱線しちゃいけないと思うと頭が固くなってしまうけれど、許されるのであれば気づいた時に戻せばいいと思えるととても気が楽になれます。
そしてたまたまある教室で聞いた話。「瞑想をする時、必ず頭をからっぽにしないといけない訳ではなくて、頭の中に色々浮かんでくるのはOK。良くないのはそれを追う事。物事が頭の中に浮かんでくるのは事実、それを放っておけずにどんどん追ってしまうのは妄想。妄想がNG。」とのこと。事実と妄想(想像)を出来る限り区別して色んなことを観察していきたいと思いました。
でも、私のようなイメージを仕事にするような立場だとどうなんでしょう?
実際に何らかの形に出力すれば事実として扱えるようになるのでしょうか。そこから先がうまく想像できないのは、あまり手を動かせていないから・・?気になります。